闘 病 記

発病時は黄色腫…皮膚科

40年ほど前2歳の頃でしょうか…。小生自身の記憶と両親の言葉だけが頼りです。たぶん『黄色腫』が発症して判明したのでしょう。東京大学医学部付属病院・皮膚科にて20年近くお世話になりました。幼児期は研究入院の経験もありましたが、20年間の治療のほとんどはコレステロール降下剤の投与でした。外傷『黄色腫』の治療の為の投薬と思っておりました。『黄色腫』は眼瞼、指関節、肘、膝、尻とあらゆる所に、薄皮状から最悪時には瘤状になり、幼心にも醜悪な姿になりましたが、痛みがないのが唯一の救いでしょうか。しかし…この「無痛」とう症状は、姿の醜悪さよりも、後の人生に大きな障害を残してくれました。この頃は私が幼い為と、医師・学会の研究不足でしょうか?本病の最大の主訴が『動脈硬化』であり、それがどんなに恐ろしい病を次々と発生させていくということも、存じませんでした。皮膚科でお世話になっていた東大病院も、今では『糖尿病・代謝内科』にて専門治療がなされてるようです。昔はなかったというのは、この40年で病気が広く認知されてきたからでしょうか?

醜悪な黄色腫が“いじめ”の原因?

投薬治療が全く効かずに何の治療方法もない昔、両親は食事制限を厳しくして、コレステロール低下作用の効果が高い健康食品を探し求めたり、ある時は正体不明の怪しげな宗教団体に頼み込む事もありました。何も打つ手がない時代に、少しでも救いを求めて悪戦苦闘してる両親の思い出があります。
町田市から文京区までの通院はラッシュ時の列車は子供の身では苦痛です。小学4年時から父の転勤で群馬に住居を移しました。東京までの通院は更にたいへんなものになりました。小・中・高校と通院の度に「欠席届」。そういえば幼稚園・小学校での給食の時間は子供ながら辛いものしでた。皆が給食なのに一人弁当持参。転校を機に友人のいない新しい世界に入った為か、成長期で『黄色腫』の悪化が激しい時期と重なってか、その醜悪な姿は、格好の“いじめ”の対象となったのでしょうか…。性格も災いしたのか新しい環境に馴染めませんでした。

画期的な治療法…LDLアフェレーシス療法

20歳の頃に新聞記事で、LDLアフェレーシス療法を知り新しい治療法を始めたのは、東京逓信病院の内藤医師・伊藤医師の元で。伊藤医師の温情で最初のlアフェレーシス透析は学業に支障のない夜間に。初めは驚く結果でしたね。投薬で500台から変化のない20年でしたが、透析処理後は100まで下がったのです。伊藤医師の転勤と共に帝京大学病院や練馬区の高松病院にと、主治医と共に転院の繰り返し。帝京大学では後に土曜の昼間の治療に代わりましたが、ここでは冒険的にも機械のスペック上限の9999cc・5時間の処理時間。透析間隔は月2回。透析量をあげて60ほどにLDL値を下げても2・3週間後には優に300を超え、400近くになることもありました。3年・5年と続けるうちに、『黄色腫』は徐々に消えていきました。指や足に出来た脂肪球もしだいに薄くなり消えていき、今では名残が眼瞼に認められるだけです。それゆえにLDLアフェレーシス治療法には、絶大な信頼をおいており、よもや血管の動脈硬化が遅々と進んでいるとは、露ほどにも考えてはおりませんでした。

腎臓透析とは違う…アフェレーシス患者の悲哀

(株)カネカ製のアフェレーシス透析の機械[MA-01]。透析患者用の機械と違って患者数も少なく、どこの病院でも患者は私1人だけ。大学病院では他に患者もいたのでしょうが、機械1台を交代で利用しているのでは、出会う機会もありません。伊藤先生のおかげで転院先の高松病院にも[MA-01]はありましたが、とてもどこにでもあるような治療機械でないことは承知しておりしまた。(でなければ住所地近くの病院を紹介してくれた筈ですもの)。
群馬から練馬までは関越高速道路で1本道ですが、当時は障害者ではない為に割り引制度もないので、片道1時間の往路を、帰路は都会の渋滞の中、高速料金節約で地上道路を片道3時間かけて走りました。帝京大の頃は最寄り駅から病院まで電車で2時間ほど。交通費は往復3千円超を月2回ですから安くない出費です。
大学時代にLDLアフェレーシス療法を始めましたが、就職の時には就職先に病気のコトを話せず、丸1年間は高額医療費も請求せずに自腹で医療費を払いました。医療費は1回6万強で月2回となると13万ちかくに。
腎臓透析患者でしたら身体障害者で雇用に公費助成もありますし、まわりの病状理解も簡単でしょう。私の病気・家族性高コレステロール血症(家族性高脂血症)という病気と、LDLアフェレーシス療法というものは、世間には昔も今もほとんど知られていませんから…外見が健康体なだけに、そして腎臓透析患者のように容態急変の危機も特にないために病人・難病患者(この頃は難病という意識もありませんでした)と見えない身では、病気持ちということが就職活動の妨げになると思い、就職活動時も就職後もひたすら隠しとおしました。週休2日制完全実施の会社ではなかったので、繁忙期などに有給休暇を取ることが難しい事もありました。それでも各病院が全て土曜診療の体制なのが幸いでした。(転居先の今の鳥取には土曜診療施設はありません)。
医療費は総務課長が替わって高額療養費制度を知ってから利用できることになりましたが…それまでの1年間は厳しい懐事情で、医療費と交通費で新入社員の給料は消えてしまい預金すらできません。親と同居の生活でなければ、とうてい無理でした。今のように正社員雇用が厳しい環境では、とても治療に専念できないでしょう。

医療過疎地、鳥取

もう8年になるでしょうか…。既に父は定年を境に難病・脊髄小脳変性症を煩い身体の自由が効かなくなる中で、母も子宮ガンで生死の境をさまよう中で生還するなど、それまで健康だった両親も病身になり、家族総病人状態となりますと両親は生まれ故郷の鳥取へのUターンを望み、私も介護の為に職を辞して6年前に家族揃って鳥取へ越してきました。私のLDLアフェレーシス治療も医療機器メーカーの紹介で受けられる病院が市内にあると知って安心しての転居・転院でしたが、なんとそこには家族性高コレステロール血症の専門医はいないのでした。
(後の論文調査で判明したのですが、昔は専門医がいらっしゃったようです。)
透析室の責任者の腎臓内科医預かりという形でしたが、治療時の診察も特になく、透析室では看護婦一任の病院です。その腎臓内科医も転職・転院で不在となり、次の医師も独立開業で消え、代わりの医師を確保できないでとうとう昨年には外来透析を閉める事態に。私も転院を勧められましたが、稀少難病の治療ということで代替施設もないおかげでしょうか、医師不在の中なんとか治療継続を許されている現状です。
何故か内科や循環器科に主治医を持たない中で、冬になると時折、胸痛に悩まされることになりました。冠動脈硬化が進んで、労作性狭心症を引き起こしてたのです。しかし信頼できる主治医がいない為に病状を進行させてしまいました。どうしても専門医が必用と2年前に自力で探す中、家族性高コレステロール血症が『原発性高脂血症』という名で国の難病指定されてると判り、難病情報センターの情報を元に大阪の国立循環器病センターを訪ねると、そこは治療器機メーカー・(株)カネカと共同研究する施設で、家族性高脂血症の治療の総本山の斯波医師に出会うことができました。冠動脈は3枝がほぼ完全に詰まってる最悪の状況でしたが、冠動脈バイパス手術をうけて、一応完治しました。今は斯波医師の指示のもと、地元鳥取にて週 1 回のLDLアフェレーシス治療となりましたが、これも3日後には許容値(心疾患経験者は100)を超え200、1週間後には300近いLDL値です。週に2回の治療が必要なのでしょうが、保険適用は週 1 回が上限なのです。

検査結果にみる病状